繊細人間が、絶望から希望を手にする逆転物語

こんにちは、ちゅんです。

『繊細すぎる心。転職、転職、また転職。
ゴールが見えない真っ暗闇。どん底の人生。』

こんな境地に立たされている方は、僕の他にもたくさんいるんじゃないかと思ってます。


その前に、

「あなたはだれ?」

と言われそうなので簡単に自己紹介をさせて下さい。


僕は現在、在宅で【マインド講師&Webマーケター】として起業し2年が経ち、65人以上の生徒さんを、成功者として導きだしています。

具体的には、皆様に「成功者になるためのマインド」を習得していただき、理想的な生活を送っていただくための「導き(みちびき)者」として活動をしております。


さらに、インターネットビジネスや、Webマーケティング、Webライティング、などを教える活動をしております。

(他には、ココナラでマインド講座のご提供、noteでブログ作成など。)

SNSは、Twitterを中心に使っています。
(フォローしたいお方は下記画像をタップ!)

こちらの書籍を読まれた方も、Twitterなどで、ぜひ声かけて頂けたら幸いです。


公式LINEでも発信しています。
(ご相談などはコチラから)

基本的にはフリーランスの1人社長としてマイペースで活動しているので、従業員は持たず、生活しています。


しかし、以前の僕は、なんの取り柄もない工場勤務の、会社の歯車として働いていた、ただの一般的な人間でした。


僕が現在、起業して1人社長として活動することに至ったキッカケは、

会社員として生きていくことに絶望した

からです。

「もう無理…人間関係がツラすぎて、働けない。」

と追い詰められ、精神的にボロボロになってしまった状態から、

今では、インターネットを使ってパソコン1台で起業し、現在は月収50万円を継続出来るようになりました。


ちなみに「なんで、ちゅんは会社員で絶望したの?」

ということについてですが、

それは、僕が、HSP。

ハイリー・センシティブ・パーソンと言いまして、

心が超敏感人間だったからです。


そしてHSPの中でも特殊なHSS型という括りに入り、繊細なのに刺激を求めるという矛盾を抱えた人間なんです。

HSS型HSPの人のことをわかりやすく言うと、「アクセルとブレーキを同時に踏んで生きている」なんて表現があり、

社交的なのに人の発言や視線が気になる
大胆な行動するわりに小さなミスを引きづる
明るく見られるけど実はそうではない
落ち着いてると言われるけど心の中は焦ってる
好奇心旺盛だけど常に警戒している

などなど、両極端な気質から、社会に出て、

『自分の繊細さ』のコントロールができなくなり、特に人間関係には疲弊しきって、2年間の間で、6回も転職をしてしまったんです。


この記事を書いてる今だからこそ、

「失敗を恐れず!自分に自信を持とう!」

「仲間と繋がって楽しく生きるぞー!」

なんていう前向きな気持ちを持ててますが、過去はほんとにヒドかったです。


対人に苦しみ、転職を繰り返し、そのたびに打ちのめされて、挑戦する意思どころか希望の光すら消えていく絶望感。

頼れる″人″が欲しかったため、周りに相談しても

「大変だね」
「みんなそうだよ」
「甘えじゃない?」

くらいの抽象的か否定的な言葉しか返って来ず、分かってもらえる人はいない。


何度も転職していくうちに

この感覚を理解できるのは自分だけ。1人で苦しみ続けるんだな

と諦めかけたと同時に、大きな寂しさを感じながら毎日を送っていました。


しかし、今では在宅で起業して稼げるようになり、苦しかった会社員時代が嘘のように毎日が充実しています。


こんな繊細で失敗続きの人間が、1人でパソコンを使ってコツコツ作業して、月収50万円まで稼ぎ脱サラし、人間関係に全く苦しまない状態を作れるようになってしまいました。


今では人に苦しめられるどころか、僕が教えている生徒さんや周囲の方に感謝され、人間関係によって幸せを感じられる毎日を送っています。

「ちゅんさんの説明は分かりやすくて聞きやすいです!」

「また相談したいので時間を作ってくれませんか?」

と、僕を頼ってくれる方々がいることに大きな充実感を抱いています。


人間関係に苦しまず、心に余裕が持てるようになってからは、

絶望希望に変わり、

ポジティブに生きれるようになったことがなによりも嬉しいです!


ここから先には、『どん底人生から月収50万円を手にし脱サラを達成した』人生大逆転ストーリーということで、

どん底から這い上がった「ちゅん」とはどんな人間なのか?

絶望の中からどうやって月収50万円を稼ぐ場所にたどり着いたのか?

人間関係ストレスフリーな人生を送れるようになったのはなぜか?

などをお話させて頂きます。


″人″に苦しみ、絶望を感じた。
絶望の淵から救ってくれたのも″人″でした。

なぜか人気者だった【幼少期】

1985年5月。神奈川県内で長男として誕生しました。

幼い頃は、外で鬼ごっこや戦いごっこをするのが大好き。

母親に影響されて、一緒に歌を歌うことが日常となって、「運動」と「音楽」がとにかく好きになっていました。


しかしその中に繊細さが顔をのぞかせて、対人関係には超敏感のため、少しでも嫌な事が起こると、すぐに泣いてしまうような状態。

怖がりだったり、萎縮してしまう・・・

朝のお迎えバスに乗った時に、知らない子がいたりすると、顔を合わせた瞬間に、「怖い!」と思ってしまうような感覚があったり。

さらに、幼稚園に行っても、みんなと顔を合わせるのが怖いので、教室のドアを開けられず、ひとりぼっちになってしまって、朝から泣いている事もありましたね。


こんな小心者な面もある中、お遊戯会では主役に選ばれたり、なぜか目立ってしまう存在でした。


良い意味で、元気で、おりこうさんだったのかもしれません。

先生に褒められたくて、元気に振る舞っていたら、いつの間にか目立っていたのです。

居心地が良いような悪いような

独特な違和感を当時から抱いていました。

今思うと、すでにHSPの特徴が出てますね(笑)

人の顔色をうかがい始める【小学生時代】

地元の小学校へ入学。

相変わらず運動と音楽が大好きな少年時代を迎えて、ちょっと怖いですが、「一緒にいて楽しい友達ができたらいいな~」と、新しい事にワクワクしていたことを良く思い出します。


そして、小学生あるあるですが、運動神経が良いと目立つ存在になっていくものですよね!

僕自身は、運動神経には、多少自信がありました。

リレーの選手に選ばれたり、運動神経が良いことで、周りの友達から褒められたりして、そんな環境が自分の繊細な部分を、もみ消している感じでしたね。

これから先は夢いっぱいで楽しむぞ~!と思っていた事も束の間、

将来にわたって苦しむことになる自分の繊細さ、気の小ささが芽を出し始めます。

それは、当時仲良くしていた″友達″(Y君)との出来事でした。


Y君は、僕以上に運動神経が良くて、発言力が大きく、いつも強気なクラスのリーダー的存在で、僕にないものを持っている人でした。


僕は自然と「Y君って、かっこいいな~。」と思うようになり、

Y君との席が隣同士という事もあって、仲良くなり、常に一緒に居ることが増えました。

ですが、勝気な性格のY君と、真逆な僕との間には何となく上下関係があり、

⦁ Y君が上、僕が下

みたいな関係が出来上がっていったのです。


Y君は地元のサッカークラブに入っていて、僕もかなりの影響を受け始めます。

当時はJリーグが始まりサッカー人気が凄まじい時代。

テレビを付ければ、いつもJリーグの試合がやっていて、運動大好きな僕はサッカーに釘付けになっていました。

その中で見ていた「カズ」こと、三浦知良選手に大きな憧れを抱いてたのもあり、Y君に続いて、僕もサッカークラブに入り、夢中で楽しむようになったんです!


Y君と一緒になって、寝ても覚めてもサッカーばかりして遊んでいましたが、このY君とのサッカーをきっかけに、

”現在のトラウマとなってしまう程のショック”な出来事が起こってしまったんです。


サッカークラブの大会で、僕とY君が同じチームで出場。

当然僕のテンションはMAXでやる気満々でグランドに行きワクワクしてました。

試合が始まると、絶好のチャンスで僕にボールが回ってきます。

ゴールを目の前にしながらボールを蹴って、僕はシュートを放ちました!!!

しかし・・・

盛大に外してしまったのです。

その瞬間、

Y君「オイ!!なに外してんだよ!!!

と、Y君の怒声が響きわたりました。

僕「えっ・・ご、、ごめん

Y君との上下関係は、以前から感じていたのですが、

Y君からの怒鳴り声に、「恐怖」という衝撃と感覚が自分を襲ったのを覚えています。

この「怒鳴り」によって僕の中の繊細さが芽を出し始めました。


小学生という幼い時から、

サッカーは好きだけどY君は苦手…という、

「人間関係」を意識しだしたのです。


初めて、仲良い友達だと思っていた友達との距離感を感じた瞬間。

とてつもない大きなショックとなってしまい、常にY君の顔色をうかがう僕が作り上げられてしまったのです。

Y君に負けじと頑張る僕と、僕のことをダメな奴だと思い始めたY君との間に、複雑な気持ちが芽生え始めたのです。

部活とギターに打ち込む【中学生時代】

中学に入学後、新しい世界と出会います。


相変わらずサッカーが好きだったので、部活はサッカー部に入ろうと思ってましたが、Y君との一件以来、対人に恐怖を覚え始めていたので、僕の心はほんの少し揺れていました。


そんな時、母からある事を言われます。

あんたは精神が弱すぎるからチームプレーには向かないよ。陸上をやれば?しかも長距離!

今思うと、さすが母親ですね。

Y君との間柄の悩む顔を一番近くで見ていた母だったので、かなり落ち込んでいた僕を見ていたのだと思います。

集団で行動するサッカーよりも、1人で行動する競技の方が、この子には向いているんじゃないかと、気付いてくれていたのかもしれません。

なによりも、Y君に怒鳴られたくらいで萎縮してしまうメンタルで、『運動は好きなのに体育会系は苦手』な僕の気質を読み取って好きな事を楽しめなくなる」ことを回避する提案だったんです。

この時点で、僕の事を全部見透かされてたんだなぁ〜と思うと、母親の偉大さに気付いた出来事でした。


当時の僕はそんな複雑なことはわからなかったですが、でも揺れていた心にすんなりと入ってきた言葉でした。

言われるがまま陸上部に入部し、それからは完全に走る事にハマっていきました。

苦しい練習を乗り越え、自分のタイムが伸びていく快感と、人の顔色を気にせず精一杯やれている状態が何より嬉しかったんです。

「1人で出来る競技だから安心!」
「負けても誰にも怒られない!」
「ビクビクせずに自由にやれてる!」

苦しみの対象が、″対人″ じゃなく ″自分との戦い″ になる陸上競技は、僕にとって最高のスポーツでした。

そんな環境のおかげもあって、県大会に出場する事ができましたが、伸びたのは記録だけではなかったんです。


3年生の時には部長をやらせてもらいました。

周りの人たちに運よく恵まれて、
部長になり後輩の面倒を見る中で、人のお世話をするのって楽しいなと感じていたくらいです。


そしてもう1つの出会い。

″ギター″でした。

1990年代は「バンドブーム」が盛んな時期で、

「B´s」「スピッツ」「Mr.children」「L´Arc~en~Ciel」「GⅬAY」「JUDY AND MARY」

などが有名でしたよね。

音楽自体幼少期から好きだったこともあり、CDやテレビで数々の音楽を聴いていて「楽器を弾けたら楽しそう」なんてひそかに思い始めていました。

そんな中、当時の友達にギターを弾ける人が多く、『ゆず』のコピーを聴かせてもらったんですが、もう衝撃的でした!

テレビでしか見たことがなかったギターを目の前で初めて見た感動と、キレイな音に完全に魅了され、親に「お願いだからギターを買って!」と丸い目をキラキラさせておねだりして買ってもらった事を思い出します。

手が腱鞘炎になろうが毎日毎日練習し、そのうちギターと一緒にハーモニカも吹けるようになり、気付いた時には「ギターがめちゃくちゃうまい人」と言われるまで上達してました。

誰に何を言われる心配もなく、1人で出来ることだった事もあって、放課後は部活に熱中し、帰ればギターに熱中する日々を送っていました。

バンド活動に目覚める【高校生時代】

勉強はそんなに出来る方ではなかったので、学区内で一番偏差値の低い県立高校に入学。

陸上はもちろん続けたいと思っていたので、陸上部に入りました。


淡々と高校生活を送っていて、友達もすんなりでき、中学同様繊細さが出てしまうこともない毎日を過ごしている中、

友達から、

「ギター弾けるならバンド組もうよ!」

と言われ、当時、母親に買ってもらったギターから、今度は自分自身でバイトをして貯めたお金で、「一生大切にする!」と決めて、エレキギターを買いました。

5万円を超える買い物をしたのは、これが人生初でした!


初めて友達たちとバンド練習をするためにスタジオに入り、メンバーと演奏したときにまた衝撃が走り、

「ものすごい音量だ!」と、ワクワクしたのを今でも覚えてます。

ボーカル、ギター、ベース、ドラムが、それぞれが違う事をして、1つの曲を演奏する【一体感】がたまらなく爽快で楽しくて!

毎週のように練習スタジオに通い、友達とリズムや、音を合わせる「バンド」が大好きになっていきました。


同時進行で行っていた陸上部も一生懸命に自分を磨くために走り続けていたりなど、

「これが僕が望んでいた人生だ!」

と思えるほど、かなり充実した高校生活を過ごしてましたね。

周りの友達にも恵まれ、人間関係にも悩まず、気の小ささ、繊細さも表に出ず、中学からの6年間は充実していました。


そして高校3年生。

進路を決める時期でしたが、好きな事ばかりしていた僕は、将来のことなんて全く考えてなかったので、「就職でいいや」くらいの軽い気持ちで、地元の工場へ就職が決まりました。


ですが充実していたのはここまで。


地獄の社会人生活の始まりでした。

初めての社会人生活で【繊細な自分自身に気付く】

僕は、1人で出来る事には没頭するタイプなので、

遅刻もしないように、ちゃんと朝早く起きて仕事にいく

真面目に生きてるって感覚が心地いいな~。なんて思ってました。

配属されたのは工場のライン作業で、僕以外同期はいなかったのと、何年も新卒を募集していなかったらしく、歳の近い先輩でも7歳離れていました。

そのおかげもあり、課長から先輩まで部署内の人にはすごく可愛がってもらえ、僕自身も真面目に仕事をこなす日々。

会社から帰ると、かなり疲れ切っていたので、「走る事」は怪我をするリスクを回避するため、やめて、ギターを弾くなど、とにかく平凡に生きていました。


入社2年目のある日、僕は会社から部署異動の提案をされました。

この時の僕は、工場の作業は単純で、同じことの繰り返しなので、ワクワクしない。と思い始めていて、さらに労働の割には給料が安かったのです。

悩んでいたところに、上司から、

「夜勤の方が給料も良いし、残業代もでるから、やってみないか?」と誘われたこともあったので、

「夜勤とか楽しそう!」
「給料上がる!」
「単純作業から解放!」

と、単純作業に飽きていた僕に、チャンスが巡ってきた!と思ったので、

即、「OK!」という返事をしました!


しかし ・・・

この選択こそが、僕の人生を大きく狂わせることとなったのです。


部署異動後、僕に教育係の先輩(Aさん)が付き、教えてもらう事になるのですが・・・

このA先輩、

かなりの変わり者だったのです。

A先輩とペアになり数日がたち、違和感はすぐに感じました。

慣れない作業を後ろで見られる威圧感。

「これで合ってますか?」

と聞き、間違っていると無言で僕の目を見続け、

「何も言わなくてもわかるだろう?」と言いたそうな圧力を感じさせてくるA先輩。

言葉で返事をくれない事が、嫌で嫌で、仕方がなかったんです。

HSPならわかってもらえると思いますが、お互いに無言状態が続くと、

どう思われたんだろう…
嫌な思いさせてたらどうしよう…

という、相手の気持ちを敏感に読み取って、かなり気を使ってしまうなどの不安な気持ちが出てきてしまい、

「えっ・・?あ、、あの、、」と、無言の時間が嫌で、つい反応をしてしまうんです。

アタフタしながら手順の確認をしますが、焦れば焦るほど空回り。

何年も経験しないと一人前になれない職人技が必要な部署と後から気付き、、経験がない僕が出来るハズもなかったのです。


数週間後には、A先輩とは別の人に、

「今日の仕事、段取りから全部自分で考えて行動しろよ?」

と言われ、先輩に「無理です」なんていう弱音な発言なんて言える雰囲気ではありません。

職人気質の高い部署なので、厳しい上下関係があったりします。

さらに、仕事を見よう見まねで上手く行くほど単純な作業じゃないので、

もちろん失敗を何度も繰り返してしまう日々。

先輩の勢いは日を追うごとに増し、

おまえさぁ、やるきあんの!?やる気ないならやめちまえ!

などと、毎日毎日怒鳴られながら仕事を続けました。

こんな状況で僕は、

怖い…怖い…嫌だ、嫌だ。と、萎縮し始めていることを感じながら、

この時に、ふと思い出したのは、

「オイ!!なに外してんだよ!!!」

と、小学校のころY君に言われた一言。

それがトラウマになるほどの衝撃だったので、今になって記憶から蘇ってしまいました。

会社の先輩の顔色をうかがって怒られないように、その日を切り抜ける事しか考えていませんでした。

こんな感じだと仕事を覚えるペースも極端に遅くなり、先輩の怒声をさらに浴びる悪循環。

そんな日々をなんと5年も送ってしまいました。


しかし、着々と僕のメンタルは削られていってました。。

相変わらず会社のA先輩にはビクビクしてましたが、

とある日、A先輩が異動することが決まったのです!

心の中では、

「やったーー!!これで嫌な日々から解放されるー!」

と、内心喜んじゃっていました!


A先輩が異動をしたその後、新しく入ってきた新人さんと一緒に作業をすることとなり、

僕にも後輩が出来て、優しく、物事を、丁寧に、教えてあげることも出来たのです。

職人質の部署でも、さすがに5年耐えたので、後輩に教えられるほど仕事が出来るように成長していました!

しかし、次に犠牲になってしまったのは、

僕の後に入社してきた後輩だったのです。


先日まで高校生だった彼にも先輩の容赦ない怒声が響き、彼も僕と同様ビクビクしているのが手に取るようにわかります。

僕も萎縮していたので意見を言えるわけでもなく、2人になった時に寄り添ってあげる事しか出来ませんでした。


そんな感じで同じ被害に合ったもの同士、意気投合しプライベートでも付き合うほどの仲になり、嫌なことがあったらお互い愚痴り合い。

こういった場があったので仕事の辛さはまだマシになりました。


それから2年ほど経ち、僕もベテランになり色々と教える立場になっていました。

ここである発見をします。

教えるのって楽しい!

陸上部で部長をしていた時の悪くない感覚や後輩に仕事を教えて感謝される感覚。

僕が関わる事で、相手が成長していく状態がたまらなく好きだ!

そんな感情を抱き始めてました。

この時″人の顔色をうかがう″ことは威圧的な先輩だけではなく、周りの全ての人に対して行うクセになっていたので、

特に後輩からは

「ちゅんさんって面倒見が良いですよね~。」
「説明が丁寧だし、わかりやすい!」
「ちゅんさんと一緒に仕事ができて本当に良かった!」

と評価してもらえてたんです。

ただし、僕の性格上、「怒る」「叱る」などの、相手が不快に感じることが出来ない、優しい性格。

威圧的な先輩に後輩が怒られているのが、自分の代わりに犠牲になっているような気がして、それを見てるのが辛すぎました。

守ってあげたいのにガツン!と言えない精神の弱さ・・・。

今思うと、確実に自分のメンタルは削られて行ってたんだと思ってます。


こんな自分の状況を、心の支えになってもらえていた彼女(今の奥さん)の存在は大きかったですね。

僕の悩みに一生懸命「うんうん」と聞いてくれる姿に、いつの間にか心を奪われいて、

今となっては人生のパートナーとして一緒にいてくれただけでも幸せだと気付かせてくれました。


とある日に、いつも通り悩みを話していると、彼女が言った事。

それってHSPなんじゃない?

・・・なにそれ?

HSP???

人の顔色をうかがい、その人の状態がわかってしまう。
まわりの空気を敏感に感じ取る。
何事も気にしすぎる。

調べてみると、これって僕の事じゃん!

と思うほど当てはまり、この時初めて、過去に感じた違和感や今の感情が繋がり、自分の″気質″を知ったんです。


HSPを知り、同じ気持ちや、想いを抱いている人が、世の中にたくさんいる!と知って少し気が楽になったのも束の間。

とある日、仲良くなった仕事の後輩が、

「仕事辞めます」と、打ち明けてきました。

話題には出てたので唐突ではなかったですが、ついに後輩に限界が訪れ退職することになりました。

仲間がいなくなったショックは大きかったですが、

それよりも、

またあの嫌なA先輩が戻ってきて、一緒に仕事することが決まる事となってしまったのです。

もうA先輩と、また仕事するなんて、もう絶対耐えきれない!!

と感じて、

10年間お世話になった会社を辞める決断し、『転職しよう!』と決めました。


他の会社を知らない初めての転職で、本当に大丈夫か?と不安を抱えながら転職活動開始!

どうせ転職するなら工場以外!と思った異業種への好奇心もあったので、初めての試みとして、【営業職】に就職することを決意しました!

どんな仕事内容なのか、楽しめる内容だったらいいな〜。と期待させながら、

「HSPで、人の気持ちをすぐ察知できるから、営業で活きるんじゃないかな?」

と、HSP気質な部分をメリットとして捉えて、活動を始めました!


ただ、人生初めての営業職。

期待と不安と好奇心が混じって、

僕はいったい、何をしたいんだろう?

と少し疑問に思いつつも、営業職を始める事となったのです!

転職失敗【メンタルダウン】

すんなり前職は辞められ、人生初の転職先へ出社する日の朝。

真新しいスーツに袖を通し、慣れないネクタイを絞め、鏡に映った自分の顔を見ると不安げな、こわばった表情をしていました。

やってみたかった営業だ!と思い、前向きになっていても、この時は大きな不安がありました。

自分が選んだ道は合っていたのか
また威圧的な先輩がいたら・・・

そんな思いが頭をよぎり、先の見えない恐怖を感じていたんです。

しかし、入社初日でこんなネガティブじゃダメだと気持ちを切り替え

新しい人生が始まるんだ!

大丈夫。大丈夫!

と自分を奮い立たせ出発。


会社に着き、事務所の扉を開ける手が少し震えましたが、元気よく

「おはようございます!」と声を出し扉を開けた瞬間、見慣れない人たちからの視線を一気に浴び、自分の心臓の音が聞こえそうなくらいドキドキし、

「あれ?視線が怖い・・・というか人が怖い?」

と感じ体が硬直してしまいました。

Y君に怒られ、顔色をうかがっていたことや、威圧的な先輩にビクビクしながら仕事を続けていた数年で、

人間関係に対して大きなトラウマが残ってしまっていたんです。

それでも固まってるわけにはいかないので、声を振り絞り、

「今日からお世話になります!よろしくお願いします!」

と挨拶しましたが、僕のこれからの上司になる人に

「はい、ここに座って」

とだけ言われ、オドオドしながら自分の席に着席しました。

しかし、違和感を感じたのはこの瞬間。


指示を出した上司の冷たい目と声、そして周りを見渡しても笑顔の社員は誰一人いないピリピリとした雰囲気で、すぐになにかを感じるこの気質。

この上司、怖い・・・てかこの会社ヤバいんじゃと、

不安がさらに大きくなりましたが、この予想が的中してしまいます。

この会社は、上下関係に厳しい、体育会系すぎる社風だったんです。


最初に仕事の説明を受け、僕はまずパソコン操作に慣れるために受発注の打ち込みと、電話対応を覚えるようにと言われましたが、業務が始まり唖然としてしまいました。

業務開始した直後、電話が殺到し社内は戦場のような雰囲気に変わり、僕も2コール以内に出ろと言われ、アタフタして遅れてしまうと、

上司「営業未経験って聞いてるけど、電話の取り方もしらねーの?なにもできねーんだから電話くらいすぐ取れよ!

と、仕事開始5分で怒鳴りつけられ、恐怖を感じる以前に、頭をハンマーで殴られたような衝撃が僕を襲いました。

パソコン操作も、文字がやっと打てるレベルの僕に容赦はなく、上司にわからないことを聞くと舌打ちされ、キレられながら教えられ、今自分の身に何が起きてるのかもわからず、ただただ「すいません」としか言ってなかった気がします。


初日の仕事が終わり帰路につく頃には放心状態で

ヤバい・・・

それ以外の事は考えられませんでした。

家に着いても中には入れず、気付いたら無心で家の周りを1時間以上グルグル歩き回っていて、もうパニックだったんだと思います。

気持ちをなんとか落ち着かせ考えました。

営業なんて自分に出来るの?
この会社・・続けていけるの?

と思いましたが、この気持ちに抵抗してる自分もい、

やりたいことだったはず…
前の会社で何年も耐えたじゃないか!
すぐに辞めるなんてかっこ悪すぎる

といった、壊れかけている自分の精神状態を無視した、今思えば危険すぎる感情も抱いてました。

当時こう思ってしまったのは、

希望を持って行動したのに、結果が失敗という事実を受け入れたくなかったんです。

しかし、この反発心が、後のメンタルダウンを引き起こすことに繋がってしまうんです。


その日の夜、考え抜いて決めたことは

「とりあえず1ヵ月は頑張ろう」

ということで、絶望を感じながらも抵抗をする自分の中で振り絞って出した答えでした。


次の日も出社しましたが、当然のように上司の怒鳴り声を浴びせられ始めました。

会社に電話が鳴り響くと「お前が出ろ」と言わんばかりの表情で睨みつけられ、どんどん萎縮していく自分。

こんな状況で電話に出ても、まともに対応なんて出来るはずがないと思いながら、

仕方がなく電話に出て対応をしますが、

「あ、え、えっと・・・」

といった感じで、モジモジしたはっきりしない対応になってしまい、結局電話相手を怒らせてしまうハメに・・・。

「わかんねーなら知ってるやつに変われ!」

と怒鳴られる始末。

消極的な気持ちが、さらに追い込まれ、萎縮しはじめました。

対応を代わってもらった上司には、

「ガキじゃあるまいし、まともに喋れないの?」

なんてことを言われる始末。

この日から、もう電話を取ることが怖くなってしまいました。


次の日も、その次の日も怒られ、「どうか今日はもう電話鳴らないで・・・」と祈るようになり、そしてついには電話対応から逃れるために、トイレに逃げ込むようになってしまったんです。

「もう事務所に戻りたくない」

「上司にも、お客さんにも、怒られるのが怖い」

″人″に恐怖心を感じているのがはっきりとわかり、とても営業なんてできないと思いました。

しかも仕事を覚える立場なのに、仕事から逃げてしまっている状態。

鏡に映った自分に対して、初日のように奮い立たせる言葉をかける事も出来ず、

精神はボロボロ。

もう逃げ場がなくて、会社を辞めるか、恐怖に耐え続けるのか、選択は2つしかないということを考えさせられてしまい、

辞めよう

と決意しました。


営業職の会社に勤めて1ヶ月が経ち、

「結局、僕には営業職って向いてないのか…」

と、メンタル的にボロボロになり、絶望感を抱きました。

精神的に限界だと感じた僕は、とある日の帰り側に、

「すみません…、もう限界なので、辞めさせていただこうと思ったのですが…」

と退職すると伝えると、

上司に「あ、そう。わかった。」

と簡単な対応をされ、

結局、僕はこの会社では、邪魔者でしかなかったんだと思わせられました。

最終的に、1ヵ月で退職、

「自分はなんのために転職したんだろう」と絶望し、メンタルダウンと同時に無職になりました。

繰り返す転職の中で【絶望を感じる】

メンタルがズタボロな上に、人間関係にトラウマを抱えた状態での転職活動は本当に大変でした。


営業がやりたいなんて気持ちはもう1ミリもなく、人間関係が良好な職場ならなんでもいいと思って探していましたが、この精神状態じゃどこへ行ってもうまくはいきません。

入社してはすぐ辞めるの繰り返しで、2年間で6回も転職してしまったんです。


履歴書も何枚書いたかわからないし、転職回数が多くなれば、面接で前職を辞めた理由を答えにくくなり、不採用になることも増えてきてました。

この時は、人間関係に冷めきっていたので人に会うこと自体が嫌だったんです。

そんな僕を受け入れてくれる会社はほとんどなく、面接も不採用が続いたことを考えると、

自分は社会から必要とされていない

ということを抱き始めたのです。


早期退職する中で、給料泥棒と言われたり、ボロボロの精神状態で仕事をしても覚えが悪くなり、ノロマと言われたり。

絶望の境地に達したせいで、死ぬことが怖くないと感じていました。

自分は必要とされていない
邪魔な存在でしかない
この世から消えても誰も気にしない

もうほんとにいつ死んでもいいと思っていました。


そして、このころでした。

スマホを見てると、広告で表示された「インターネット上で収入を得る方法」という

「インターネットビジネス」

という世界を知ったんです。


覇気が無くなっている僕に、HSPというものを教えてくれたあの彼女から

「ブログやってみたら?」

と提案されたんです。

僕はインターネットなんてYouTubeを見るくらいしか使わないネット音痴だったので、ブログって日記?日記でどうやって稼ぐんだ?

くらいの感覚でしかなかったのですが、調べてみると

・在宅でパソコン1台でできる
・人間関係のストレスゼロ
・稼げる金額は青天井

このような未来が手に入ると書かれていました。

本当かなぁ〜。これだけ辛い人生を歩んできているのに、そんな簡単にできる訳がない!

と、思う自分と

これで成功すれば、会社員を辞められる!しかも人間関係に苦労しない理想的な生活が出来そう!

と、いう宝物を見つけた時のようなワクワク感があり、

せっかくのタイミングなので、ブログを始めることを決意しました。

人生最後の挑戦
【インターネットビジネス本格始動】


ダメだったら人生を諦めようという思いから、すぐにパソコンを購入し、サイトの作り方や記事の書き方など、調べまくり没頭しました。

それからは寝ても覚めてもブログ記事を書く毎日でしたが、しかし簡単には上手く行きません。

50記事書いて収益は数十円。

しかしこの時は、ストレスなく挑戦していること自体が幸せで楽しくて、挫折するなんて感覚は全くなかったです。

気付いた時には絶対に成功させるぞ!という覚悟に変わっていました。


そう思いブログの事を調べていると、Twitterとの相性が良いことを知ります。

SNSなんか全くやったこともなかったのですが、なんとしてでも結果を出したかったのでTwitterを始めてみる事にしました。

初めて知るSNSの世界。

色々見てみると、ブログ以外でもインターネットで稼ぐ方法があることを知り、興味を持ち始めます。


調べていると、インターネットビジネスで脱サラをした人の「稼ぎ方教えます!」というツイートが目に入り、恐る恐るコンタクトを取ってみました。

その方からは、インターネットビジネスの世界は独学だと厳しいと聞かされ、実際ブログで成果を出せていない僕からしたら納得せざるを得ないことでした。

「絶対成功する!」と、藁にもすがる思いだったのでインターネットビジネスを1から教えてもらう事にしました。


それからはインターネットビジネスの基礎から勉強し、多少の収益化には成功しました。

成功者から教えてもらえるのは本当に結果が出るのが早いと思っていましたが

しかし、問題がありました。


教えてくれていた人はかなりポジティブで、僕とは正反対の性格。

基本的には自分で考えろというスタンスで、なかなか質問もし辛く、やりにくさを感じていました。

そして、ビジネスのスクールでセミナーがあるので参加するように言われ、

ガンガン周りの人に声をかけて横の繋がりを作りましょうと言われました。

そもそも人間関係に苦しみたくないから始めたんだけど…なんか違うと矛盾を感じながら、人間関係に疲弊している僕。

そもそも、この気質でそんなこと出来るはずがなかったんです。

活動を始めてみたものの、

インターネットビジネスで成功したい気持ちと、やりにくさから来るストレス。

2つの気持ちが交錯する複雑さを感じ、段々と作業ペースも落ちてしまい、結果が出なくなってしまったのです。

数々の転職経験から、なぜこうなったのか気付いてました。

自分には環境が全て

ここでいう環境とは″人との繋がり″のこと。

関わる人で、自分の人生が変わっていくのを知ってました。

人生の転機【運命の出会い】

結果が出ない苦しさの中でも″絶対に脱サラする″思いが僕をつなぎ止め、インターネット上のビジネスは辞めていませんでした。

なんとか継続していたおかげでTwitter上で仲良しさんも増え、そこにも救われてましたね。

そんな方々の中で、僕のツイートにいつも共感してくれて、特に仲良くさせてもらっている方(Kさん)との出会いがありました。


KさんはHSP気質で、会社の人間関係に悩み続け、webライターとして独立。

僕と全く同じ苦しい過去を持ち、そして僕が目指す理想の未来を手にしている方。

そして、

僕の人生を大きく変える″人″との出会いがここにあったのです。


ある時、Kさんから

「もし良ければ、一緒にHSP対談とかしてみませんか?」

と提案され、インターネットビジネスを学び、発信する立場である僕にとって、こういったお誘いはすごくありがたいことでした。

でもそれ以上に、僕の心は揺れていました。

この人から教わりたいな・・・

Twitter上でずっと絡んでもらって、どんな方なのかもわかっていたし、何より自分にとって″環境(人)″が全て。

この人に付いていけば自分の人生が変わると直感で思ってました。


対談が始まる前に、個人的に僕の話を聞いてもらいたいと伝え、対談当日。

人間関係に悩み、転職を繰り返したことや、インターネットビジネスで成果が出ていない話。

どんな環境で学んでいるかなど、全ての悩みを聞いてもらいました。

Kさんから返ってきた言葉は、

「その環境なら僕も続けられないです(笑)セミナーなんか行かなくても正しい知識さえあれば出来ちゃいますよ!」

自分の中で引っかかっていたものが全部洗い流され、疑問だったものが確信に変わった瞬間でした。

そして会話を重ねるうちに、揺れていた心も確信に変わってました。

絶対この人に付いていきたい!

そう思い、

「僕にインターネットビジネスを教えて下さい!!」

とはっきり伝え、快くOKしてもらいました。


やっと。

ほんとにやっと。


人生を好転させるスタート地点に立つことができたんです!

ついに掴んだ【理想の未来】

僕のインターネットビジネス挑戦第2章。

的確なアドバイス、そしてなにより挑戦しやすい環境を作ってくれるKさん。

手取り足取り教えてもらい、僕はやる気満々で、寝ても覚めても作業してました。


この環境こそ、僕が求めていたもの。


好きな人と、やりやすい環境で理想に向けた挑戦が出来る喜びが大きく、メンタルボロボロで落ち込んでいた時が嘘のような毎日でした。

こうなると完全に覚醒状態。

・初月で5万円
・2ヵ月で15万円
・3ヵ月で40万円

といったペースで収益化していったんです。

ぶっちゃけ、今まで悩んでたのはなんだったんだと少子抜けするくらいあっという間でした。


そしてついに半年間で、

夢に見た脱サラを達成出来たんです!!(泣)

人生のどん底から
理想的な生活をして【今思うこと】

人間関係に悩み始めてから失敗続きの期間はなんと17年・・。

脱サラを目指した道中も心のどこかで諦めかけてる自分もいました。

それが人との出会いにより、たった半年で人生が変わっていく。

こうなれた理由で確信していることが2つあります。

・諦めずに行動すること
・人との出会いが1番大切

メンタル崩壊し、立ち止まる期間はあったけど行動を続けた。

行動したからこそ人生を変えると出会えた。

どん底の社会人生活を送り「死ぬのが怖くない」なんて思っていた僕の人生が、信じられない速度で変わっていきました。

適職を探して行動をしていたけど、本当は『人との出会い』を求めていたんだと思ってます。

過去の苦しみを思い出すと今も震えてきますが、結果的にここにたどり着くために必要だった事だと感じ、全てプラスに捉えられるようにもなりました。

全て繋がっていたんです!

こう考えられるようになったのも、人間関係に縛られない毎日を送れるようになった今があるから。

僕にとって環境が全て。人が全てと思い続けた結果ここにたどり着けたんです。

最後に

HSP気質で転職失敗続き。

そのため、社会ではどんどん消極的になっていく自分がいました。

こんな僕が、『人』との出会いにより人生が変わった。

今では、バンドをやっていた時のようなキラキラした自分を取り戻し、諦めなければ人生は逆転出来ると実感しています。


現在、Webマーケターとして独立し2年が経ちますが、月平均50万円はコンスタントに稼げており、社会人だった頃の収入を大きく超え、人間関係に縛られず、毎日好きな時間に起きて、ストレス0で作業出来る状態は、僕の中で大逆転の人生です!


しかし、ここまで読んでくれたあなたならわかると思いますが、辛い経験の繰り返しで精神はすり減り、本当に追い詰められていました。

人生のどん底にいながらも行動を続け、

正しい情報と知識を手に入れ、そして人に出会えたこと。

それによって自分自身が変われたことが今では大きな自信になっています!

過去に思った「人に何かを教えるのって楽しい」と感じていたことがそのまま仕事に直結し、コンサル生を稼がせてあげることで感謝される毎日。

楽しいと思うことをやれて、人からは感謝されて、ホントに充実した人生が送れています。

そんな僕から言える事は、

辛かったら逃げていい!

あなたは1人じゃない!

すぐそばに、あなたを救う人がいる!

という事です。

僕が運命の人との出会いで救われたように、今度は僕があなたの希望の光になる。

あなたにとっての『運命の人』になりたいと思いこの記事を書いています。

是非、僕の体験を参考にして頂けたらと思っています。


そして、今の僕のように人生を変えたくて、インターネットで稼ぐための世界で挑戦しているけど、なかなか上手く行かないという人は、残念ながら多いと思っています。

その理由は、

悪質な情報発信者がすごく多いんです。

この立場になったからこそわかりますが、僕は、本物の情報を手に入れられた1人というだけで、特別ではありません。

本気で人生を変えたい。

そんな風に思われている方々が、しっかり正しい情報と繋がれるように。

僕という存在と繋がってくれた方々に本物の情報を届けたいと思い、行動して下さる方々を全力で応援し続けていきます!

是非、本気で人生を変えたいと思っている方は、インターネットで稼ぐ方法をお届けしますので、僕の公式LINEに登録いただけたらと思います!

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・【自由な未来を作る】

そんな人生を送れるキッカケにしてもらえたらと思います。